「もともとメンタルが繊細だった上に、幼少期からイジメも多く経験し、
大人になっても精神的に実家の家族や独身の楽しさから自立出来ていないのに結婚して、
オマケにインフルエンザにかかったのをきっかけとして鬱を発病した。」…以上の解説は心療科の先生がまとめた私の発病の経緯ですが、
私自身もあらかた成り行きはそんな感じと捉えています。ともかく、結婚を機にあれよあれよと具合が悪くなり、
気づいた時には毎日朝から晩まで自殺の事ばかり考えるようになっていました。母親に懇願されて心療科を訪れましたが、
先生から処方された薬は全て病院のゴミ箱に捨てて帰っていました。
元気になって今後もこの世で生きていたいという希望すら持ってなかったからです。ある日の診療で「今日は女医の先生にお話聞いて貰いましょう」と促され、
別室で若い女の先生に30分ほどボソボソと他愛もない話をしました。とても緊張していました。(魔法の言葉でもかけてもらえるのだろうか。
いつもの先生よりもっと専門の腕のある先生なんだろうか…)という期待があったからです。でも全く私の苦しみを理解してもらえませんでした。
セオリー通りの受け答え、おまけに小さくため息をついたりチラチラと時計を見たり…ガッカリでした。
心底脱力しました。
もう嫌だ…という気分も極まった思いでした。泣き喚く気力も枯れ尽きていました。
(私は一体何をやってるんだろう…もう無理だ。)そうボンヤリ感じながら眠りについたその日の夜、私は夢を見ました。
広い劇場の客席に私が1人で座っているのです。
舞台は見えませんがどうやら私自身が一人芝居を演じているようです。客席の私は手に汗を握る思いでジッと私の劇を見ています。…そんな夢です。
目が覚めて私は随分長い事その夢について考えました。私が演じていたのは私の人生そのものだったのかもしれない、
そしてその劇がいかにしょーもない物であっても
1秒も目をそらさずに見つめ続けてくれる世界でたった1人の客が私自身なのだ…と。素晴らしい人生になるならそれはそれに越したことはない、
でも極めて無様で情けないような人生であっても客席の私は
ラストに心からスタンディングオベイションを送ってあげたいと願って
見続けていてくれるに違いない、と思ったのです。脳天を雷に打たれたかのごとくそう感じたのです。
その視点を自覚してから、生まれ変わったように寛解したわけでは当然なく、
「もうだいぶ元気と言ってイイ」と思えるまでまだ2年ほどかかったかと思います。でも、私の人生は私の好きなように出来る世界でたった一つのもの…。
夢を機に、そんなベーシックな、そしてとても重要な事に私は思い至ったのです。……死ねないなら基本的に生きなければならない。
そもそも私だってちゃんと堂々とすればいい。必要以上に人に気を使ったり、自分だけガマンしたり、
自分の存在価値を下げたりしなくていい。多少失敗しても、思った通りの生き方にならなくても「それで上出来な人生だよ」と
私は私にきっとスタンディングオベイションをしてくれる。私は私自身に「がんばったね」と最期に心から褒めてもらうために生きてみよう。
そもそも私は生まれる事、生きる事への凄まじい価値を知っていたからこそ、
ものすごい確率をくぐり抜けて自分の力で受精したのだ……。心療科の先生や薬が私にとっては残念ながら救いにならなかった事で、
「私という人間は、もともと自分の中から苦し紛れにグイグイと出てきた答えでしか救われなかったのかも知れない」
と気づくことが出来たと思っています。
※本記事は個人のうつ病体験談です。体験内容はあくまで個人の体験であり、医療アドバイスではありません。専門的なアドバイスを希望する場合は医師へ相談を。
※This article is a personal depression story. The content is solely based on personal experience and is not medical advice. Consult a doctor for professional advice.
